川をくだる。

人生という大河をくだっているところ

N/A

N/A読んだメモ

 

社会では分かりやすい存在であることが求められるので、ラベリングされない存在になることってかなり難しい。多様性の尊重と言われる時代だけど、LGBTみたいな分かりやすい名称がなくて、一般に想定されていない少数派の在り方はより理解されにくい。りゅうちぇる離婚に対する世間の反応を思い出した。

 

主人公はラベリングされない存在でありたいと強く思うと同時に他人の感情をラベリングしている。特別な他人にはその人のための言葉をかけるべきと主人公は思うけれど思い付かず、自分をラベリングしたと思った友人が、特別な言葉をかけることができていた。最後は他人からの定型的な優しさで救われていた。

 

特別な関係性の人間には、その人のための言葉をかけるべきだという考え方を思春期の頃自分もしていたなって思い出した。でも特別な言葉なんてそう簡単に出てくるもんじゃなかった。

 

あと「女の子なんだから将来の為に身体を冷やすのはよくないよ」という、女性ならば大人から一度は言われた経験のある言葉に対する違和感の言語化がすごかった。

自分にとっては自分の身体は自分でしかないのに、他者から勝手に赤ちゃんを産むことを想定された「女性」の身体として扱われている、居心地の悪さというか、違うものにされたときの心地悪さが表されていた。そう!!これだよーーーー!!!!って思いました。

 

あと女子校の先生が生徒と結婚してるところとか、背が高くてショートヘアだったり運動ができたりする子がイケメンとしてもてはやされるところがリアル。