川をくだる。

頭の整理日記。

会話のままならなさ

 

なんともう2024年。

年明けから暗いニュースが続いて、心が落ち込んでいる。外国で沢山の人が亡くなっても、日本で大きな災害が起こっても、それでも人生は続くので、今年も己の人生をやっていく。

 

今更だけど心の整理をつける為に、2023年の振り返り。この1年はとにかく仕事がしんどかった。仕事でとにかくしんどかったのは、社内での会話のままならなさである。

 

上半期で会社の業務の全体像を掴んできたぞ!と思いきや、下半期は頑張ることに疲れてしまったり売上を詰められたりしていた。

 

今まではどんなに理不尽な状況であっても、業務を停滞させることが自分にとっても顧客にとっても一番最悪の事態であると信じて無理矢理に突破してきた。しかし、なんかもうそういう腹の底のパワーを振り絞って頑張ることに疲れてしまった。今まで身体の核にあったエネルギーがカッスカスになっていた。水を掛けられたあんぱんマン状態だ。

 

そこに追い打ちを掛けてきたのが、上司との会話のままならなさだ。ただただ、コミュニケーションを取るということが難しい。どうしても私が今まで他人と取ってきた形の会話ができない。コイツは、こんなにも一般的な人間ですという風貌をしているが、本当は人間じゃないのかもしれない。いや、もしかしたら私が妖怪サイドなのかもしれない、という気持ちにさえなった。

 

数ある疲弊コミュニケーションのなかから、心に残ったを代表例を挙げていく。

 

・報告の時に目を合わせないでずっとキーボードを打ち続ける。その癖話をよく聞いておらず、理解できない点を私の理解不足にする。

・設定の目標に到達しなかった場合、"嘘つき""犯罪者"などのワードを使用して圧をかけてくる。ほぼヤクザである。(※怒鳴られています)

・不必要なまでのマイクロマネジメントで目標の提出に時間がかかってしまい、仕事が進まない→なんでなんだの繰り返し。

・上記の話をしている横で、別の上司がまるでセッションかのようにため息、呆れ顔などで差し込んでくる。

・己の聞き間違絶対に認めず、私の誤りということにしてくる。

 

やっぱりこうやって文字にすると普通にパワハラだ!ただで終わらせるのは癪なので、今は社内で色々訴え、状況は改善しつつあるが、心の疲労感とコミュニケーションに対する不信感はそう簡単になくなるものではない。

 

状況は改善したし、忘年してやる!と酒をしこたま飲んだ。でもモヤモヤがどうしても拭えず、そもそも会話とは何なんだろうか、という疑問から三木那由多著作の、『会話を哲学する コミュニケーションとマニピュレーション』『言葉の展望』読んだ。

https://www.amazon.co.jp/会話を哲学する-コミュニケーションとマニピュレーション-光文社新書-三木-那由他/dp/4334046223

https://www.amazon.co.jp/言葉の展望台-三木那由他-ebook/dp/B0B68KT4T4/ref=mp_s_a_1_3?crid=2GRCHVLI35N3R&keywords=言葉の展望台&qid=1704541199&sprefix=ことばのてんぼ%2Caps%2C248&sr=8-3

 

『言葉の展望』の中にまさに直面した状況が言語化されていた。コミュニケーション的暴力としての、意味の占有という章である。

 

私が感じた会話のままならなさの原因は、コミュニケーションのパワーバランスにあった。上司との会話において、正しさとは発話者が何を言ったのか、過去にどのような会話があったのかではない。常に"上司がその瞬間に正しいと信じていることが正しい"という状態に歪められていた。他者の主張は全て跳ね除けられ、上司が正しいとしたこと以外を主張しても、通ることはほぼない。相手に会話の気がないのなら、擦り合わせなどできない。結果的に、上司と部下という不均衡な関係性にある限り、力のある上司の意見が強引にその場の正になってしまうのだ。

 

つまり、相手のスタンスが変化しないのなら、こちらが我慢するか離れるかしか選択がない。多分今年中に離れられるので、それは本当に大きな進歩だ。実体のないモヤモヤしていた苦しみも、言葉にして理解するとクッキーのようにサクサクと噛んで呑み込んで消化できるような気がしなくもない。

 

自分は小さい頃から本を読むことが好きで、国語は比較的得意で、文系の勉強をしてきて、言葉についてある程度考えている。そして他人の心についてもそこそこ考えている、と思う。だからそれらを重んじることが当たり前と思ってしまうし、歳を重ねてからは近い感覚の人間と関わりがちだ。でも、大切にしている核となる部分の価値観が1ミリも重ならない人間も無数に存在する訳で、理解できない存在たちが入り乱れているのが世界だ。出身の田舎公立中学は、そういえばこんな感じだった。

 

最近PerfumeのTOKYOGIRLを聞いてるので、

情報を掻き分ける熱帯魚🐠

という感覚で社会の荒波を、魚のようにスイスイ泳いで乗り越えて楽しい一年にしたいと思います。

 

 

 

こわかったものを思い出した

昔からこの世は怖いものでいっぱいだった。

 

私は多分、他の人よりも生まれつきすごく怖がりだった。特に幼少期は怖いものがいっぱいあった

 

それなのに、あの頃は無敵だっただとか、若い頃は何も考えてなくてストレスがなかっただとかいうエピソードを、SNSで見たり職場で聞いたりする。

 

そんな人もいるんだ。思い返してみると、私は小学生の頃は既に、嫌いな習い事や、諸事情で気が乗らない授業がストレスで、当日はお腹にずっしり重い鉄球が入っている心地で生きていた。無敵感など一瞬も抱いたことはない。

 

基本的に全人類、表に出していないだけで何かしら悩みやストレスを抱えているんだろうと思って生きてきたから、逆に無敵でいられることの想像が難しい。(そのSNSや職場の人が、話を誇張してる、もしくは悩みに無自覚、忘れてしまっている可能性もあるが...。)

 

無敵ってきっと、身も心も羽のように軽くて、現在や将来に対する不安もない状態なんだろうな。いいな。

 

このブログの内容は帰宅中に歩きながら考えていたことで、職場であった嫌なこと→ストレスに感じたこと→怖かったこと、という連想ゲームで、昔怖いと思っていたことを沢山思い出した。

 

今のあまり明るくなくてネガティブに物事を捉えがちな自分の性格は、怖がりだった幼少期の自分の延長線上にある。だから、昔怖かったことを思い出したら性格を構成する要素を知ることができるかもしれないと思った。この年齢にもなると、怖がりなんて可愛い言葉は通用せず、ただの臆病者なんたけど。

 

↓怖かったことを思いつく限り列挙する。

(思い出し次第追加)

 

千と千尋の冒頭

千と千尋の神隠しの、両親が豚になるシーンが怖くて映画館で爆泣きした。トラウマになる。

 

ゴジラ

ゴジラも怖くて、映画館で爆泣きした。子供に見せるな。

 

・ヒーローショーの敵キャラ

ヒーローショーを見に行った時も爆泣きした。いつもは画面越しに見ている敵の雑魚キャラでも、実際に目の前に出てくるやっつけられちゃう!と思って怖かった。

 

・おうちでひとりになる

突然ひとりになることも怖かった。家に家族がいると思っていたら、いつの間にか誰もいなくなっていた。家中とお庭を探してもいなくて、近所を泣きながら歩いた記憶がある。確かみんな犬の散歩に行っていたんだっけ。

 

・ひとりで待つ

幼稚園だか、小学校低学年だったか、帰宅後家に1人でいることがあった。その日は身内の代わりに近所のおばさんがバス停まで迎えにきてくれた。おばさんが帰ったあと、怖くて不安いっぱいで泣いた。人がいない家の静寂は、永遠にみんなが帰ってこないんじゃないかと思ってしまう。二世帯で住んでいたので、幸福なことに誰もいないことに慣れてなかったのかも。

 

・着せ替え人形

たしか私が小さい頃におじいちゃんとおばあちゃんが買ってきてくれたクリクリおめめの着せ替え人形。あれは怖かった。特に友達から怪談を聞いてからは、突然人形が動きだして身体を乗っ取られて、私が人形にされちゃうんじゃないかって怖かった。

 

・森のなか

森の中って絶対に動物以外のなにかがいる。怖い。

 

・渡り廊下の暗闇

家に真っ暗な渡り廊下があって怖かった。暗闇にお化けとか妖怪がいるかもしれない。小さい頃はひとりで渡れなかった。成長したら小走りで渡れるようになった。

 

・寝室の隙間

寝室の襖が隙間風でパタパタ動いて音が鳴っていたのが怖かった。父に早く寝ないと森からオオカミがくる、みたいなことを言われたので尚更怖かった。日本狼は絶滅しているので安心しろと昔の自分に言いたい。

 

・戦争

テレビニュースで見る戦争が怖かった。いつの日かこの戦争が日本まで広がって、みんな死んでしまうかもしれないと思っていた。

 

地球温暖化

ニュースや特番で見て、私が大人になる頃には日本が沈んでしまって住むところがなくなってしまうのかもしれないと思って怖かった。怖すぎて、本気でSTOP地球温暖化と思っていた。

 

こうして思い返すと、だいたい無いものに対して、もしかしてこうなるんじゃないか〜という妄想をして怖がっていることが分かる。これらの"怖い"は実際に起きない、起きないから大丈夫、ということを少しづつ知って大人になっていった。身構えていたのに、現実は意外と大丈夫なんだと拍子抜けでもあった。

 

怖がりでびびりな自分ってカッコ悪い!と幼いながらに思っていたんだけど、先日友人に千と千尋とヒーローショーの話をしたところ、想像力豊かだったんだね、と言われた。

 

そういう捉え方もできるのか!

そう捉えます。

 

 

 

 

おもちゃの街

 

労働に疲れた。疲れているせいなのか、現実が全部作り物なんじゃないかと思えてくる。

 

電車の車窓から見える青い空と白い雲と、ぎっしり隙間なく立ち並ぶ民家の低い屋根、そびえ立つビルたち。夏の光のコントラストの強さも相まって、東京の町は全部作り物のミニチュアなんじゃないかと思った。

 

仕事で銀座に行くときもこの感覚になる。白くてまっすぐで人工的な美しいストリートと、その両脇に隙間なく並ぶ見目美しいブランド品や飲食店のビル。生活の匂いはせず、人生の楽しいだけをありったけ集めた大人のためのおもちゃの街だ。

 

そんな作り物の街を走るおもちゃの電車に乗り、毎日同じビルに出勤している私も実はおもちゃで、気づいていないだけでLEGOブロックのカクカクした人間みたいな感じなのかもしれない。

 

会社では一つの部屋に人間が密集して、皆真剣な面持ちでパソコンのキーをパチパチ打っている。エクセルやワードを閉じたり開いたり、メールの文章を読んだり書いたり。その姿だけを見てみると一人一人が何の為に何の仕事をしていて世界にどのような作用をもたらしているのか分からない。パソコンやスマートフォンを介して行われているやりとりなんて、本当は全て存在していないのではなかと思えてくる。

 

仕事なんか存在していなくて、全部嘘で、労働は現実に作用していなくて、全ては空想上の遊びにすぎないのかもしれない。

 

 

 

 

辞めたい!!!

仕事を辞めたい!!!!!!入社して以来、幾度となく辞めたい!!!と思ってきたが、今辞めたいエネルギーがLv.100を越えてきた!!!!!!流石に無理なんだが!!!???!!?!?!?!?

 

友人や同僚に生産性のない暗い愚痴を垂れ流すのは申し訳ないので、まずは文章にして気持ちを吐き出したい。

 

何故辞めたいかというと、仕事内容が自分に合っていないことはもちろんだが、ストレスの80パーセントを上司との会話が占めている。現在はないのだが、去年の秋頃までは、動悸、えずき、胃痛、吐き気、肌荒れなど様々な体調不良を入れ替わり発症していた。表面的に変化はないから周囲には伝わっていないだろうな。

 

実際どう見られているかは知らないが、職場では無難で穏やかな人として振舞っているつもりだ。自分でもびっくりなのだがフワフワした癒し系の人と思われることもあるらしい。自認している性格と真逆で怖い。

 

しかし、上司が嫌いすぎて上司に対しては私人生史上最悪な態度をとっている。最近はネチネチ色々言われすぎて、全て真に受けていたら精神が終わってしまうので、自己防衛の為なのか、正論であっても注意・叱責が全く頭に入らなくなってきた。一時期は死ぬほど落ち込み、その後は怒りのパワーを原動力にして働いていたが、もう怒ることさえ疲れてきて、受動的かつ反抗的とという最悪な部下をやらせてもらっている。

 

納得がいかない時は反論をする。しかし、彼らは反論を問答無用で聞き入れないタイプの人間であるので、声色、態度、表情全てを駆使して不快感を全面的に表現している。そのため、実は私が従順でなく、頑固でひねくれている面倒な人間であることは完全にバレている。

 

身内以外にここまで怒りや反抗心を露わにするのは初めてで、そんな自分が嫌だ。同じ職場内で、他の人たちにはニコニコ愛想よく話しているのに、上司に対しては捻くれた人格が表れる、矛盾した自分の態度が気持ち悪い。それに、怒ることはとても疲れる。感情を乱されること自体疲れるけど、怒りの感情は特段重い。

 

てか、上司を不快にさせていることではなく、自分が自分の嫌なところを見て自己嫌悪を抱くことに一番落ち込んでいるということに気づき、自分のことばかり考えていてうける。

 

それに結局のところ、いくら環境や上司が合わなくて辛くでも、退職しない以上その場所に居続ける選択しを取り続けているのは自分なのだ。しかも、合わないこの会社を選んで入社したのも自分だ。そう考えると、合わない環境でジタバタしている不器用な自分ってなんて滑稽なんだろう、周りからもそう思われているに違いないと被害妄想が拡大していく。(※被害妄想の自覚があるので、それはお前の想像だ!と自分に言い聞かせている。)自分にも非がある以上、同僚や友人に必要以上に愚痴を言うのも憚られてしまう。そう自己完結し、早く退職宣言するしかない!!!という結論に至っている。

 

自分なりに筋が通っているのだが、他人からしたら表面的な変化がなく、昨日の同じボンヤリした顔をした奴がいきなり辞めます!!!と言うんだから、唐突に映るのかもしれない。上司からよく言われる有難いお言葉「おまえは突然、全部まとめて一気にもってくる」が骨身に染みる。

 

いつからだったか、早く今の環境から抜け出したいと思い続けていた。

中学生の頃は、高校生に。高校生の頃は、大学生に。大学生の頃は、社会人に。

 

学生生活に集中できる、恵まれた環境で生きてきたことは分かっているけれど、少ない選択肢のなか、閉じた環境と人間関係に縛られて生活するのは閉塞感が強かった。なんとなく、私は死ぬまで早く次のステージに逃げたいと思い続け、次のステージに移ったら移ったでそこも苦しくなってきて逃げたくなる、人生ずっとそうなんだろうなと漠然と思っていた。

 

会社勤めは避けることができない人間関係、責任の発生する作業、利益の追求が一番の目的である点がきつい。しかし、実際今は昔ほど閉塞感はない。将来のことは常に不安で心がグラグラしてしょうがないけど、己で責任も持てば何をやっても自由だ。

 

従来的な世間一般的な幸せは、結婚して家族を持ち、良い会社で終身雇用で働くというものだが、自分の性質上、まず結婚は難しいかなと思っている。そういった世間一般の幸せルートに乗れないし、そこに乗りたい気持ちがある訳じゃないのなら、自分さえ満足ならば何をしても良くない?という感情が最近は湧いてきている。

 

自覚がないだけで、私自身に社会ではやっていけない程の欠陥があって、次の会社でもしんどくなって、ずっと転職を繰り替えす人生になったらどうしようという不安はある。だけど、これまでなんとなくで生きてきてしまった分、ここから先は今までのツケを払って、自分で選択して生きていかなくちゃいけないのかもしれない。怖いけれど、それはそれで、すごく楽しいことだ。

 

 

優しさと繊細さの拒否

綺麗で優しい人、もの、言葉って、嘘くさく感じてしまって素直に好けない。

 

自分が繊細で美しいっぽい言葉を使うと、お前本当にそう思っているのか、ただ美麗な言葉を並べてとそれっぽい雰囲気だしてるんじゃないの?とも自問自答してしまうぐらい。

 

恐らく、内在する自己の弱さや繊細さを押し込めているが故にそうなっているのだと思う。繊細さは世間では嫌われるし、弱くては生きていけないから。だから、私がどうにか見ないふりをしてきたら繊細さや弱さを大事にしている人って羨ましくてイライラする。優しさと繊細さを拒否することで、それが虚勢であったとしても自分の強さを保ちたいのだと思う。

 

子供の頃に見聞きした物語でよく語られていた、「優しい人は強い」というのは本当にそうだと思う。優しさと繊細さを保つことができるということは、自分で自分を守ることができる強さを持っているということだ。

 

他人への優しさ、繊細さを抱えたままダイナミックに自分の人生を生きている人に憧れる。

 

対人関係に関しては、優しい人よりも、本音が見え透いている、または悪路的であっても本当に主張したいことは言葉にする人間に安心する。必要以上に腹の底の感情を探る必要がないからだ。

 

優しい人ほど本音を隠して、人の感情のことを考えて先回りして考えているから、申し訳なくて怖い。気付かないうちに私の言動が彼/彼女たちを不快にさせ、傷つけ、疲労させているだろうから。結局は自分か人を傷つけて嫌われることが怖いのだ。ただ、そんな底の見えない、怖い優しさを持つ人のことはとても好きだ。

 

優しさに見返りを求めていたり、自分を押し殺して我慢することを優しさだと認識している人は苦手だけど。

 

私の優しさと繊細さの拒否、懐疑心は自分の弱く臆病な心が反射して映し出されたものだ。

 

 

 

写真って悪くない

写真を撮ることが好きでミラーレスカメラやフィルムカメラを持っている。スマホでも日常的に写真を撮っている。

 

写真を撮ることは好きだけど、不純な行為だという認識があり、美しい景色や残したい瞬間にシャッターを切ることに時々罪悪感がある。

 

何故ならその瞬間が本当に素晴らしいと思うのなら、写真を撮ろうという欲さえ湧かないはずで、その瞬間を最大に味わうことが一番純粋な行為であると思うから。

 

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先日、祖父のお葬式で取り敢えず記録用にいっぱい写真を撮れ!!と父や親族に言われ、流石に不謹慎すぎない!?と思いつつも死顔やお葬式の様子をとにかく撮りまくった。

 

棺桶のなかに横たわる、お花に囲まれた祖父の綺麗にお化粧された顔。式場に訪れる知り合いに頭を下げる喪服の家族。身内側である私は、本来死を謹んで弔い悲しむべきなのに、この場面は記録した方が良いだとか、こっちから写した方が綺麗だとかを、レンズ越しに客観的に見ている立場に些か居心地の悪さがあった。

 

そして心地悪さと同時に、記録としての写真を撮る行為って悪くないとも思った。

 

お葬式の前に、家の奥から引っ張り出してきた昭和やもっと前の白黒写真を親族みんなで見ていた。若い頃の祖父祖母の姿や、写真に映る自分が生きていない時代を見るのは楽しかった。

 

自分が撮った写真も、歳を取った自分や家族、親戚が見て懐かしんだり、100年後に生きるの誰かが見て面白がることもあり得るんだと思うと、記録として写真を撮影することって悪くない。

 

 

生きた記録

祖父が亡くなった。いつも通りの通勤電車のなかで、母からのLINEを開いてそれを知った。

 

ここ数ヶ月特に体調が悪化しており、そろそろなのかなと思っていたので、祖父の死はすんなり受け入れられた。ただ、それはそれで、悲しくて電車のなかで自然と涙が垂れていた。確かに悲しいんだけど、感情の全てが暴れ出すような気持ちではなくて、悲しいだけの感情じゃなくてよく分からなかった。

 

その日はいつも通り仕事をこなしたし、辛くて涙が止まらないということもなかったが、ふとした瞬間に胸がざわついて泣きそうになった。

 

祖父は正直、良い人ではなかった。

私が物心ついた頃に家で見ていた祖父といえば、アル中で昼から酒を飲む姿、昔ながらの亭主関白で祖母がいなければ何もできない姿。短気ですぐに祖母や母と口論をしていたし、近所の人たちに対する態度も横暴だった。 

 

だけど私に対しては優しかった。  私は待望の女の子の孫であるらしい。ことあるごとに「おじいちゃんは◯◯が何歳になるまで生きられっかな、高校生、大学生、結婚するまで。おじいちゃん、がんばっから。」と言っていた。晩ご飯の時やお酒が入ってやっている時、私が帰省したときにほぼ必ず言うので半ば聞き流していた。なんとなく、私に対する距離を測り兼ねているような不器用さを感じられて、そんな態度にイラついて冷たく接してしまった。

 

孫に対する優しさと、他に対する横暴な態度の不均衡さに、確かに反感を抱いていたが、それでも生まれたときからおじいちゃんはずっと私のおじいちゃんだった。だから、祖父は良い人ではなかったし素直に好きとは言えないが、ずっと確かにいた存在がいなくなるのは悲しい。

 

私が知らない時代を歩み、私が知らない時間を生きて、私の想像のみでは理解し得ることができない思考を積み重ねた魂と、長年の時を経た祖父の肉体が確かに存在していた。しかしその魂と肉体は動かなくなり、火に炙られて、今はカリカリの骨が残っているだけだ。祖父の過去や気持ちを知りたくても聞くことはできず、新しい記憶も更新されない。

 

祖父が亡くなったことで、私は彼のことを全然知らないことに気付いた。自分の話は全然しない人だったし、自分から積極的に聞くこともしなかったからだ。

 

お葬式で使うために掘り出してきた昔の写真を見たり、祖父の人生年表(←親からレジュメみたいに配られたのはちょっとおかしかった。)を見たりして、初めて私のおじいちゃんとしてではなく、1人の人間としての歩み知った。

 

それらからは大変な時代を逞しく生きた、責任感の強い人物像が浮かび上がってきた。自分の為ではなく家や家族の為、組織や地域の為に生きている人生だった。私が1番縛られたくないものために尽力し、コミュニティに還元する生き方は自分とは正反対だ。家族だし一緒に住んでいたけれど、祖父と私では、全く交わらない人生をそれぞれ生きている。

 

都内で一人暮らししていると1人で生きているような気分になるから、なんだか容姿や雰囲気が似通った血縁者が一堂に会するお葬式という場も不思議な感覚だった。親戚との絶妙な気まずさも含めてそんなに悪くなかった。帰省前は暗澹としていた気持ちも軽くなった。

 

人の死に際して行われる儀式は、死者への弔いはもちろんだけど、その周りの人たちが死を受け入れる為の区切りになるんだなあと実感した。

 

祖父が亡くなってから知ることが山程あった。知りたいことを聞こうとしても、もう何を知ることができず、よっぽどの有名人ではない限り詳細な記録はないし周囲の人の記憶から様々なエピソードをひっぱり出して想像することしかできず、本当の心情に関しては一生知ることができない。

 

記録はなくても、和は人となりを知って自分の記憶に存在を保存しておきたい。だから家族をひとりの人間として興味を持って、過去やどうでもいいことや気持ちをもっと知りたいと思う。