川をくだる。

人生という大河をくだっているところ

生きた記録

祖父が亡くなった。いつも通りの通勤電車のなかで、母からのLINEを開いてそれを知った。

 

ここ数ヶ月特に体調が悪化しており、そろそろなのかなと思っていたので、祖父の死はすんなり受け入れられた。ただ、それはそれで、悲しくて電車のなかで自然と涙が垂れていた。確かに悲しいんだけど、感情の全てが暴れ出すような気持ちではなくて、悲しいだけの感情じゃなくてよく分からなかった。

 

その日はいつも通り仕事をこなしたし、辛くて涙が止まらないということもなかったが、ふとした瞬間に胸がざわついて泣きそうになった。

 

祖父は正直、良い人ではなかった。

私が物心ついた頃に家で見ていた祖父といえば、アル中で昼から酒を飲む姿、昔ながらの亭主関白で祖母がいなければ何もできない姿。短気ですぐに祖母や母と口論をしていたし、近所の人たちに対する態度も横暴だった。 

 

だけど私に対しては優しかった。  私は待望の女の子の孫であるらしい。ことあるごとに「おじいちゃんは◯◯が何歳になるまで生きられっかな、高校生、大学生、結婚するまで。おじいちゃん、がんばっから。」と言っていた。晩ご飯の時やお酒が入ってやっている時、私が帰省したときにほぼ必ず言うので半ば聞き流していた。なんとなく、私に対する距離を測り兼ねているような不器用さを感じられて、そんな態度にイラついて冷たく接してしまった。

 

孫に対する優しさと、他に対する横暴な態度の不均衡さに、確かに反感を抱いていたが、それでも生まれたときからおじいちゃんはずっと私のおじいちゃんだった。だから、祖父は良い人ではなかったし素直に好きとは言えないが、ずっと確かにいた存在がいなくなるのは悲しい。

 

私が知らない時代を歩み、私が知らない時間を生きて、私の想像のみでは理解し得ることができない思考を積み重ねた魂と、長年の時を経た祖父の肉体が確かに存在していた。しかしその魂と肉体は動かなくなり、火に炙られて、今はカリカリの骨が残っているだけだ。祖父の過去や気持ちを知りたくても聞くことはできず、新しい記憶も更新されない。

 

祖父が亡くなったことで、私は彼のことを全然知らないことに気付いた。自分の話は全然しない人だったし、自分から積極的に聞くこともしなかったからだ。

 

お葬式で使うために掘り出してきた昔の写真を見たり、祖父の人生年表(←親からレジュメみたいに配られたのはちょっとおかしかった。)を見たりして、初めて私のおじいちゃんとしてではなく、1人の人間としての歩み知った。

 

それらからは大変な時代を逞しく生きた、責任感の強い人物像が浮かび上がってきた。自分の為ではなく家や家族の為、組織や地域の為に生きている人生だった。私が1番縛られたくないものために尽力し、コミュニティに還元する生き方は自分とは正反対だ。家族だし一緒に住んでいたけれど、祖父と私では、全く交わらない人生をそれぞれ生きている。

 

都内で一人暮らししていると1人で生きているような気分になるから、なんだか容姿や雰囲気が似通った血縁者が一堂に会するお葬式という場も不思議な感覚だった。親戚との絶妙な気まずさも含めてそんなに悪くなかった。帰省前は暗澹としていた気持ちも軽くなった。

 

人の死に際して行われる儀式は、死者への弔いはもちろんだけど、その周りの人たちが死を受け入れる為の区切りになるんだなあと実感した。

 

祖父が亡くなってから知ることが山程あった。知りたいことを聞こうとしても、もう何を知ることができず、よっぽどの有名人ではない限り詳細な記録はないし周囲の人の記憶から様々なエピソードをひっぱり出して想像することしかできず、本当の心情に関しては一生知ることができない。

 

記録はなくても、和は人となりを知って自分の記憶に存在を保存しておきたい。だから家族をひとりの人間として興味を持って、過去やどうでもいいことや気持ちをもっと知りたいと思う。