川をくだる。

人生という大河をくだっているところ

こわかったものを思い出した

昔からこの世は怖いものでいっぱいだった。

 

私は多分、他の人よりも生まれつきすごく怖がりだった。特に幼少期は怖いものがいっぱいあった

 

それなのに、あの頃は無敵だっただとか、若い頃は何も考えてなくてストレスがなかっただとかいうエピソードを、SNSで見たり職場で聞いたりする。

 

そんな人もいるんだ。思い返してみると、私は小学生の頃は既に、嫌いな習い事や、諸事情で気が乗らない授業がストレスで、当日はお腹にずっしり重い鉄球が入っている心地で生きていた。無敵感など一瞬も抱いたことはない。

 

基本的に全人類、表に出していないだけで何かしら悩みやストレスを抱えているんだろうと思って生きてきたから、逆に無敵でいられることの想像が難しい。(そのSNSや職場の人が、話を誇張してる、もしくは悩みに無自覚、忘れてしまっている可能性もあるが...。)

 

無敵ってきっと、身も心も羽のように軽くて、現在や将来に対する不安もない状態なんだろうな。いいな。

 

このブログの内容は帰宅中に歩きながら考えていたことで、職場であった嫌なこと→ストレスに感じたこと→怖かったこと、という連想ゲームで、昔怖いと思っていたことを沢山思い出した。

 

今のあまり明るくなくてネガティブに物事を捉えがちな自分の性格は、怖がりだった幼少期の自分の延長線上にある。だから、昔怖かったことを思い出したら性格を構成する要素を知ることができるかもしれないと思った。この年齢にもなると、怖がりなんて可愛い言葉は通用せず、ただの臆病者なんたけど。

 

↓怖かったことを思いつく限り列挙する。

(思い出し次第追加)

 

千と千尋の冒頭

千と千尋の神隠しの、両親が豚になるシーンが怖くて映画館で爆泣きした。トラウマになる。

 

ゴジラ

ゴジラも怖くて、映画館で爆泣きした。子供に見せるな。

 

・ヒーローショーの敵キャラ

ヒーローショーを見に行った時も爆泣きした。いつもは画面越しに見ている敵の雑魚キャラでも、実際に目の前に出てくるやっつけられちゃう!と思って怖かった。

 

・おうちでひとりになる

突然ひとりになることも怖かった。家に家族がいると思っていたら、いつの間にか誰もいなくなっていた。家中とお庭を探してもいなくて、近所を泣きながら歩いた記憶がある。確かみんな犬の散歩に行っていたんだっけ。

 

・ひとりで待つ

幼稚園だか、小学校低学年だったか、帰宅後家に1人でいることがあった。その日は身内の代わりに近所のおばさんがバス停まで迎えにきてくれた。おばさんが帰ったあと、怖くて不安いっぱいで泣いた。人がいない家の静寂は、永遠にみんなが帰ってこないんじゃないかと思ってしまう。二世帯で住んでいたので、幸福なことに誰もいないことに慣れてなかったのかも。

 

・着せ替え人形

たしか私が小さい頃におじいちゃんとおばあちゃんが買ってきてくれたクリクリおめめの着せ替え人形。あれは怖かった。特に友達から怪談を聞いてからは、突然人形が動きだして身体を乗っ取られて、私が人形にされちゃうんじゃないかって怖かった。

 

・森のなか

森の中って絶対に動物以外のなにかがいる。怖い。

 

・渡り廊下の暗闇

家に真っ暗な渡り廊下があって怖かった。暗闇にお化けとか妖怪がいるかもしれない。小さい頃はひとりで渡れなかった。成長したら小走りで渡れるようになった。

 

・寝室の隙間

寝室の襖が隙間風でパタパタ動いて音が鳴っていたのが怖かった。父に早く寝ないと森からオオカミがくる、みたいなことを言われたので尚更怖かった。日本狼は絶滅しているので安心しろと昔の自分に言いたい。

 

・戦争

テレビニュースで見る戦争が怖かった。いつの日かこの戦争が日本まで広がって、みんな死んでしまうかもしれないと思っていた。

 

地球温暖化

ニュースや特番で見て、私が大人になる頃には日本が沈んでしまって住むところがなくなってしまうのかもしれないと思って怖かった。怖すぎて、本気でSTOP地球温暖化と思っていた。

 

こうして思い返すと、だいたい無いものに対して、もしかしてこうなるんじゃないか〜という妄想をして怖がっていることが分かる。これらの"怖い"は実際に起きない、起きないから大丈夫、ということを少しづつ知って大人になっていった。身構えていたのに、現実は意外と大丈夫なんだと拍子抜けでもあった。

 

怖がりでびびりな自分ってカッコ悪い!と幼いながらに思っていたんだけど、先日友人に千と千尋とヒーローショーの話をしたところ、想像力豊かだったんだね、と言われた。

 

そういう捉え方もできるのか!

そう捉えます。