ライブで仙台に行った観光日記。
ライブがメインなので特に計画も立てておらず、隙間時間で観光をしてきた。ホテルから近いという理由だけで立ち寄った塩釜市がかなり良かったのと、見知らぬ土地に住む人のことを考えたという話。
適当に調べて、なんかいい感じそうだな〜
と思った塩竈神社が目的で塩釜に行った。
駅には波をイメージした青のグラデーションのタイルや魚の絵が描かれたポストやモニュメントがあって、駅からたしかに、塩だ!!と思った。海なし県出身者はここでもうわくわくした。
歩いてみると古い建物がポツポツあり、海街特有の、建物の錆具合が好きだった。
伊勢物語にも登場したほど歴史がある土地らしくて、塩釜神社に向かう歩道には伊勢物語や塩釜市にまつわる和歌が書いてある石碑が並んでいた。
塩竈神社は黒くて大きな鳥居と長い参道、長い階段が荘厳だった。整えられた美しい日本庭園と、高台にあるので海が見えるところが良かった。境内には船のいかりがおいてあり、海に近い神社らしかった。七五三や成人式の撮影や、結婚式が開かれていて賑わっていた。
本当は神社だけみて帰ろうと思っていたが、ちょっと歩けば海が見えることが分かり、水がみたい!という本能が爆発して海を見て行くことにした。
海の近くにはモニュメントのある公園があって、近くにいってそれはすぐに3.11に関するものだと分かった。自分が今呑気に観光してる場所が被災をしているという、当たり前の事実を再確認させられた。
今まで、何かの慰霊碑とか、モニュメントとかそういったものがある意味について深く考えることはなかった。"忘れない為"や"後世に残す為"という言葉を聞いても、まぁそうだよねとか、むしろ形式的だなとか当事者ではない自分は思っていた。
でも私は見知らぬふらっと訪れた土地で、犠牲者の名前が記されている石を見て、津波の高さが刻まれたモニュメントを見てこの土地で何があったのかを考えた。公園や慰霊碑、モニュメントなど、出来事が起こった場所に、形を持つものを置く意味ってそういうことなのだと身をもって理解した気がする。
その公園の先には海があり、漁業用の船着場になっていた。海と歩道はコンクリート塀で区切られており、私は歩道を歩いていた。
塀の向こう側には地元の中高生と思われる男子2人が歩いていて、持っている竿海にたらして釣りを始めた。きっといつもここで遊んでいて、それが彼らの日常なのだろう。
海沿いを歩いて行くと海を見渡すことができる建物があり、海や船がよく見えて綺麗だった。
一番広いテラスに出てみたら、何かのイベントがあったのか従業員が忙しなく椅子やテーブルを片付けていたのでそっと離れた。
建物の一階入り口付近では、音楽が演奏されていて小規模な屋台の周りで地元の人たちが歓談している。
私は勝手に観光にきたくせに、誠に勝手ながらここに私のような部外者は必要とされていないと感じた。
当たり前にここに住んでいる人がいることを考えた。海のすぐ近くで、歴史があり美しい自然もあるが、大きな津波があった場所。また津波があって街が壊れて生活が変わる可能性があるけれど、ここに住み続ける人たちの感情はどういうものだろうか。
自分が海がない土地育ちのせいなのか、海があって、津波の可能性がある生活というものが異国の出来事のようにも思えてしまう。
もし自分がこの土地に生まれ育ったら、海と歴史に愛着を抱き、何があっても住み続けるのだろうか。それとも、今と同じだ田舎の閉鎖的な人間関係や、ヤンキー文化を嫌悪して刺激の尽きない都会に住むのだろうか。自分の魂が変わらないなら、後者だと思う。
知らない土地に行き、土地を知り、そこに暮らす人の生活を考える時間は必要だ。私のような、わざわざ足を運ばないとそこで起きた出来事と向き合うことができない怠け者も、強制的に考えることになる。
そして何か重大な結論が出る訳ではないけど、当たり前に自分にない人生、人格、生活が存在するということが、目前の生活の重荷を少しだけ軽くしてくれる。これからもあらゆる場所に行き意味のあることないこと考え続けたい。